102 唯物と唯識

102 唯物と唯識


「外に見える世界=現実」とする世界観を唯物といいます。

 唯物的な思考は、外に見える現象の原因と結果をひも解く
 "科学"を発達させました。

 歴史的には、西洋において、宗教が迷信や規律で人や社会を
 縛っていた反動が、科学を発達させたのではないかと思います。

 また、社会の貧富の差を非合理とみて、合理的な社会を作ろうと
 したのが共産主義です。そして共産国家も次々とできました。


 私も中学・高校の頃、人間社会の不条理さと
 人間関係のわずらわしさが嫌で、
 合理性を求めて理系の教科により興味を持ちました。

 心の奥では、合理性に救いを求めていました。
 合理性の世界にこそ、心の安住があるとおもっていました。


 唯物的な思考は、社会の発展において必然的に起こった
 のではないかと思います。

 そして科学を発達させ続けた結果、モノが豊かになって
 生活が便利になりましたが、私は自然も時間も心も
 浪費しているそんな感覚があります。

 また、共産的な国家は、人間本来の活力を抑圧する結果
 となったので次第に消えていきました。


 唯物の世界観を進化させる思考があります。
 それは、唯識です。

 唯識とは"心が認識した世界=現実"であるという思考です。

 唯識は内なる世界が外なる世界を生み出しているという
 唯物からすると非常識な思考です。

 インド哲学にはじまる東洋思想の根っこには
 唯識があります。


 唯識の世界は外の誰かに教えられるものではありません。
 教わるものではなく、本人が内側から気づく世界です。

 なので、唯識的な考え方を教えてあげるという人がいたら
 少し怪しいです。
 そのうち、ツボを売られるかもしれません(笑)


 ただ、気づく場を作ることはできます。
 "場"は唯識的な世界に気づくきっかけです。
 唯識の入口です。


 学校教育は「偏差値」という外の基準で人の能力を
 測っていますが、そのままだと唯物の世界にとどまり
 続けることになります。

 学校の先生は、時代の変化を敏感に感じている子どもたちに
 唯物的な世界で教育をしているので、苦労されていると
 思います。無力感を感じているのではないでしょうか。

 ただ、人を育てたい、成長してほしいという「思い」自体は、
 唯識です。その唯識を磨けば、唯物の世界を進化させることが
 できます。

 そのヒントになるのが、場作りです。

 唯識に気づく場作り。
 ここに見えない"価値"がたくさん眠っています。