「外に見える世界=現実」とする世界観を唯物といいます。
唯物的な思考は、外に見える現象の原因と結果をひも解く
"科学"を発達させました。
歴史的には、西洋において、宗教が迷信や規律で人や社会を
縛っていた反動が、科学を発達させたのではないかと思います。
また、社会の貧富の差を非合理とみて、合理的な社会を作ろうと
したのが共産主義です。そして共産国家も次々とできました。
私も中学・高校の頃、人間社会の不条理さと
人間関係のわずらわしさが嫌で、
合理性を求めて理系の教科により興味を持ちました。
心の奥では、合理性に救いを求めていました。
合理性の世界にこそ、心の安住があるとおもっていました。
唯物的な思考は、社会の発展において必然的に起こった
のではないかと思います。
そして科学を発達させ続けた結果、モノが豊かになって
生活が便利になりましたが、私は自然も時間も心も
浪費しているそんな感覚があります。
また、共産的な国家は、人間本来の活力を抑圧する結果
となったので次第に消えていきました。
唯物の世界観を進化させる思考があります。
それは、唯識です。
唯識とは"心が認識した世界=現実"であるという思考です。
唯識は内なる世界が外なる世界を生み出しているという
唯物からすると非常識な思考です。
インド哲学にはじまる東洋思想の根っこには
唯識があります。
唯識の世界は外の誰かに教えられるものではありません。
教わるものではなく、本人が内側から気づく世界です。
なので、唯識的な考え方を教えてあげるという人がいたら
少し怪しいです。
そのうち、ツボを売られるかもしれません(笑)
ただ、気づく場を作ることはできます。
"場"は唯識的な世界に気づくきっかけです。
唯識の入口です。
学校教育は「偏差値」という外の基準で人の能力を
測っていますが、そのままだと唯物の世界にとどまり
続けることになります。
学校の先生は、時代の変化を敏感に感じている子どもたちに
唯物的な世界で教育をしているので、苦労されていると
思います。無力感を感じているのではないでしょうか。
ただ、人を育てたい、成長してほしいという「思い」自体は、
唯識です。その唯識を磨けば、唯物の世界を進化させることが
できます。
そのヒントになるのが、場作りです。
唯識に気づく場作り。
ここに見えない"価値"がたくさん眠っています。

